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(第265回)【小さな旅】天照山・勝願寺(関東十八檀林)

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 徳川家康をはじめ、さまざまな武将にゆかりのある寺が鴻巣市に残る。勝願寺(しょうがんじ)は、天照山と号し、院名は良忠院、本尊は阿弥陀如来である。また、関東十八檀林(かんとうじゅうはちだんりん)の一つである。関東十八檀林とは、江戸時代に定められた関東における浄土宗の主要な寺院で、宗派の重要事は檀林の会議で決すること、僧侶の養成も檀林でのみ行うこととされていた。そのトップは芝の増上寺であり、埼玉県内には、川越の蓮馨寺(れんけいじ)とここ、勝願寺のみである。創建は1199年(正治元年)とも1252年(建長4年)とも1264年(文永元年)ともいわれはっきりしない。鎌倉幕府4代執権・北条経時(5代執権北条時頼とする文献もある)が浄土宗・第3祖良忠がに箕田郷松ヶ岡(現・鴻巣市登戸)の地を寄進したことにより開山した。その後は、良忠の門下が鎌倉光明寺の住職を兼任したが、1429年(永享元年)に良意が没した後は相続する者はなく、真言宗の寺院となったが、戦国時代の戦乱で寺は荒廃した。
 天正年間(1573年~1593年)に、清厳がを登戸から鴻巣宿へと移設し、浄土宗の寺院として再興した。1579年(天正7年)に武州松山城主・上田氏一族の出身である不残が住職となった。この不残の存在と徳川家康の出会いが、この寺の意味を大きく変える。1592年(文禄元年)に不残はこの地を訪れた徳川家康に法問論議を行い、感銘を受けた家康はすぐに不残に帰依し、随行した地元赤山藩(現在の北足立郡伊奈町及び川口市など)藩主:伊奈忠政と伊奈忠家、石戸藩(現在の上尾市・桶川市・北本市・鴻巣市)藩主・牧野康成らに当寺の檀家になるように命じた。それに加え、三つ葉葵の使用を許可をし、1604年(慶長9年)には寺領30石を寄進し、諸役免除となった。鴻巣には鴻巣には将軍の鷹狩りのための鴻巣御殿(残念ながら、江戸の明暦の大火の際に、江戸城の再建のために解体されている。残念!)があり、石戸に鷹狩の茶屋があたことから、家康はたびたび当寺を訪れた。その後、2代将軍・秀忠や3代将軍・家光も家康と同様に当寺を詣でるなど、徳川家との関係は維持された。また、家康の帰依する寺にふさわしい寺にするための普請も行われた。家康の次男・結城秀康が関ヶ原の戦いの功績により、下総国結城から越前国北の庄へ移封された際、家康の命により結城城の御殿、隅櫓、御台所、太鼓櫓、築地三筋塀、下馬札、結城城下の華厳寺にあった鐘を当寺に移築した。 
 しかし、明治期に入ると廃仏毀釈により寺勢は大きく低下した。そのうえ、1870年(明治3年)の台風により結城御殿は全壊し、1882年(明治15年)の火災で、本堂、庫裏、鐘楼、仁王門などほとんどの建物が焼失するという不運が続いた。その後、1891年(明治24年)に本堂、1920年(大正9年)仁王門、1930年(昭和5年)に龍寿殿が再建された。明治時代後半には境内に常設グラウンドが設置され、自転車競技会や競馬競技会などのスポーツイベントを開催した。その後、グラウンドには観光のためサクラやツツジが植樹されるなど鴻巣公園として整備され現在では市民の憩いの場、花の名所となっている。また、「お十夜」は毎年11月14日から11月15日朝まで行われる念仏会で、400年近い歴史がある。鎌倉の光明寺で催される「双盤十夜」や八王子の大善寺で催される「諷誦文十夜」とともに「関東三大十夜」のひとつとされている。

【勝願寺】
埼玉県鴻巣市本町8丁目2-31
JR高崎線鴻巣駅より徒歩10分
駐車場は隣の鴻巣公園を利用

<撮影機材>Ricoh WG-50

①山門。唯一明治の火災を逃れた建物。江戸時代の築と思われる。前田家の一行が下馬しなかったために追い返されたのはここ。
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②石戸藩主・牧野家代々の墓。中には入れないが、門があって独特の雰囲気。
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③仁王門。明治時代の再建だが、とにかく建築として素晴らしい。
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④仁王像はちょっとコミカル。
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⑤漆喰の飾りがいくつもあり、これを見ていたら日が暮れてしまったくらい。
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⑥漆喰ってすごい技術だとつくづく。
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⑦彫り物もすごい。単眼鏡や双眼鏡を持ってくるのは必須だ。
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⑧彫り物は全てじっくり見て欲しい。
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⑨内部の彫り物もスゴイ。本当に見とれる。
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⑩仁王門の建築そのものにも注目。
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⑪本堂。これも明治時代の再建だが素晴らしい。
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⑫本当はもっと写真をアップしたいがきりがない。
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⑬屋根も瓦と銅葺きの組み合わせで力強いデザイン。
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⑭狛犬もいる。お寺に狛犬ってあまりないような気がする。
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⑮真田小松姫の墓。大河ドラマ「真田丸」で注目を集めた。
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⑯真田伸重の墓。その室の墓も。僕は真田で最も優れていたのはこの人だと思う。
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⑰仙谷秀久の墓。秀吉の家臣だったが、秀忠に従った。
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⑱龍壽殿。群馬県を中心に活躍した江戸時代の僧・呑龍を祀る。身寄りのない子供を引き取り弟子にしていた。
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⑲何やらきになるお堂。謂れは分からなかった。
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コメント

No title

漆喰の飾りって珍しくないですか?
あまり見た気がしませんが・・
この作りにしてこの仁王像は確かにちょっとユニークな作りで面白いです。
肩の力が抜けそうです。(^^)/

No title

山門に塀、見た事あるような気がしたので確認したら
東松山に行く道沿いのお寺なんですね
向かいには格安のお弁当屋さんがある所
前を何度か通りました
藩主のお墓があるような由緒あるお寺なんですね

近代建築ですが素晴らしいですね。

見事な漆喰によるコテ絵、関西ではあまりないですね!
無いと言えば本堂屋根の大棟、あれほど高い大棟もまた関西では見ません。それに彫物も凄くて、関東社寺建築の魅力が詰まっているように思いました。

☆AMEX⭐︎さん

仁王門を隅々まで眺めていると、その素晴らしさに惚れ惚れします。
その威容はもちろん、彫り物の美しさと豊富さ、そして漆喰です。
漆喰の装飾は埼玉では少なくとも他では見たことがないような気がします。
もしかすると、ここで使われている技術は東京駅の駅舎などで生かされているのかなと思ったりもします。
明治の建築だからこその装飾なのかもしれません。
やはり神社仏閣を見るときは、これだから単眼鏡が欠かせません。
光学好きには日本製の単眼鏡が手放せないです。
仁王像、なぜか優しくてコミカルな顔ですよね。
これなら怖くないです。

アルフレッドさん

そうです。
国道17号から吉見を抜けて東松山に抜ける県道ですね。
あの川幅日本一の橋のところです。
もしかして唐揚げ屋さんのお弁当をこのお寺召し上がったことがあるのでしょうか。
実はこのお寺は見どころ満載です。
もし再度お立ち寄りの際は、少しお仕事をあちらに置いて、散策をしてみてください。

大原かずのりさん

大原さんのコメントのおかげで、関東の寺院の特徴に気づき、気をつけるようになっています。
この漆喰の飾りもそのことがなければあまり気にしなかったかもしれません。
もっと写真をアップしたかったのですがあまりにも多く、絞りました。
本堂の大棟、すごいですよね。
それを伝えたいために、屋根の写真を組み入れました。
実際に見るとなかなか壮大です。
彫刻は本堂はもちろん、仁王門も全面にあります。
生き生きとして動き出しそうです。

No title

漆喰の彫り物ってのは私が住む播磨地域ではほとんど見ませんね
崩れやすい材質なのか、あまり見かけないですね
実物を見てみたい!

toshiさん

漆喰の装飾に関しては大変珍しいのだと思います。
僕もそんなに見たことはなく、むしろ東京駅のような近代建築のほうが見かけます。
技術的にはかなり高いものだと思います。
このような建築が新たに行われることは、もうなかなか無いと思います。
修復をしっかり続けていき、技術を継承して欲しいなと思います。

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たいやき

Author:たいやき
カメラ好きには写真家と写真機家の二種類がいるという。
ぼくは間違いなく写真機家なのだろう。
写真は一向に上達しないが、カメラはいつの間にか増えていく。

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