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(第266回)【小さな旅】慈恩寺・玄奘塔(三蔵法師の遺骨)

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 高校時代に、大島先生というあきらかに60代以上の高齢の先生に英語を習った。「慈恩寺」という名前は、その先生から初めて聞いたと記憶している。僕は子供の頃から教養のある、年齢が高い人のお話が好きだった。覚えているのは「慈恩寺には三蔵法師の遺骨が分けられている」という話だ。そんなところがあるんだと思い、ずっと覚えていて、車の免許を取ったあとにようやく訪れたと記憶している。そのときは三蔵法師の遺骨がどこにあるのかが分からなかった。実際に何度か訪れて、やっと、本堂の向かいの道路を渡って、歩いて15分くらいの先に「玄奘塔」があることに気が付いた。インターネット社会の今では考えられない話だが、思い返すとそういう不便が面白かったのかもしれない。
 「慈恩寺」は天台宗の寺院で華林山最上院と号す。慈覚大師が天長年間(824年~834年)に開山したと伝えられ、以降戦国時代まで歴代の領主に大事にされてきた。「慈恩寺」の名前は玄奘三蔵の建てた大慈恩寺の名にちなんでいる。江戸時代に入ると、徳川家康より1591年(天正19年)に寺領100石の御朱印状を拝領し、幕府と岩槻藩両方の庇護をうけるようになった。また、1670年(寛文10年)には東照宮(徳川家康)位牌のお供料として、二十八石四斗九升を寄附されている。坂東三十三ヶ所の12番となっおり、札所巡礼の参拝客が絶えない。埼玉県内には4か所、坂東札所があるが、ここはさいたま市岩槻区であり、最も訪問しやすい場所にある。さいたま市の文化財に、「慈恩寺文書」(岩槻城主・太田資正の文書)と「南蛮鉄の灯籠」(天正年間に奉納されたもの)が指定されている。
 三蔵法師(玄奘)の遺骨は、宋代に長安から南京にもたらされたことは分かっていたが、太平天国の乱以降は行方不明になっていた。日中戦争のさなか、1942年(昭和17年)12月に日本軍は南京で土木作業中に、偶然にも三蔵法師(玄奘)の頭骨を発見した。頭骨は、当時の南京政府に還付され、1944年(昭和19年)に南京玄武山に玄奘塔を建立し奉安されるとともに、日本へも分骨された。日本へ渡った頭骨は、当初は芝の増上寺に安置されていた。しかし、ちょうどその頃、東京は空襲にさらされ、疎開をすることになった。まずは一時的に埼玉県蕨市の三学院に移され、さらに三蔵法師の建立した大慈恩寺にちなんだ名の慈恩寺に疎開しした。敗戦後は、中華人民共和国政府から日本軍が不当に持ち帰ったものというあらぬ嫌疑をかけられ返還を迫られた。これに対して、日本側はことの経緯を丁寧に説明し、正当に分骨したものであると主張し、長い時間をかけて理解を得たのである。その後、正式な奉安の地を検討した結果、やはり三蔵法師と縁の深いここ慈恩寺が奉安に最適の地とされ、1950年(昭和25年)に1「玄奘塔」が花崗岩で築かれた。その後慈恩寺から、1955年(昭和30年)にかつての南京政府である台湾の玄奘寺に再度分骨されたのは興味深い。この辺に中華民国との友情関係が始まったのかもしれない。また、1981年(昭和30年)には奈良の薬師寺へも分骨されている。
 僕にとって、慈恩寺は三蔵法師の寺である。三蔵法師というと古い話だが、日中合作の最初のドラマ、「西遊記」がイメージされる。あのゴダイゴのテーマ曲、「モンキーマジック」「ガンダーラ」はこのお寺に近づくと頭に流れてくる。僕にとっての三蔵法師は夏目雅子さんであり、悟空は堺正章さんである。僕はここに三蔵法師に会いに行く。

【慈恩寺】
埼玉県さいたま市岩槻区慈恩寺139
東武アーバンパークライン岩槻駅より、岩槻区コミュニティバス乗車、「岩槻観音」下車、目の前。(1時間に1本くらいある)
東武アーバンパークライン豊春駅より徒歩25分
駐車スペース多数あり。

【玄奘塔】
埼玉県さいたま市岩槻区表慈恩寺
慈恩寺より徒歩15分
駐車スペース数台あり。

①山門。ちょうどこの前で道がまがっていたり、交差したりで面白い。
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②本堂。
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③この威容。彫り物もいいし、眺めていて飽きない。
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④社務所だろうか。こちらもいい雰囲気。
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⑤境内にある白い仏様。

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⑥聖徳太子堂。
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⑦白馬を祀る。馬がいるといつも気になる。
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⑧少し離れた玄奘塔の門。ここだけ中国。
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⑨これが玄奘塔。先人の苦労もかみしめてお参り。
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⑩くるくる回すとお経を読んだことになるあれ。
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⑪玄奘像。これを見ても、僕のイメージでは夏目雅子さん。
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コメント

No title

くるくる回すとお経を読んだことにあるあれ、
中国とかだけかと思っていたら身近な所にもあるんですね
埼玉県さいたま市岩槻区慈恩寺と言う地名も
この慈恩寺から来ているようですね

アルフレッドさん

最近はときどき
くるくる回す経典を見かけることがあります
僕はこれを見つけるとくるくる回します
ちょっと楽しい気持ちになります
慈恩寺は地名になっていて、確か同じ名前の中学校や小学校もあるはずです
それくらい地元では知名度の高いお寺です

こんばんは。

まさか埼玉県に三蔵法師の遺骨があるとは知りませんでした。凄いですね。遺骨を掘り出した歴史の話も興味深いです。
本堂は重厚、石造の層塔もなかなか立派ですね。

大原かずのりさん

ここは坂東三十三箇所の一つなので割合メジャーなのですが、三蔵法師の遺骨のことは案外知られていません
と言うのも境内でなく、かなり離れた場所にあるからだと思うます
ここは日光御成街道からほど近いです
江戸時代には岩槻藩の加護があったと思います
時代が下って昭和にエピソードが加わったのが面白いですよね

No title

白馬を祀る・・初めて見た気がします。
珍しくないですか?
本堂もりっぱですね。
③の写真が見れなかったんですけど・・わたしのPCかな・・

No title

こんばんは。
三蔵法師の骨が分骨されているという当寺は気になった事がありますが、さいたま市にあるという時点で忘れることにしました。車の渋滞、人の混雑が大嫌いな人間なのでwwwでも、写真を拝見させて頂くてやっぱり行ってみたい気になりました。今、埼玉に住んでいたなら今週末にでも行きたい気分です(^^)

⭐︎AMEX⭐︎さん

こちらでは白馬を祀っているのをときどき見る気がします
本物の白馬がいるケースもどこかで見ました
こちらの場合はガラスのショーウィンドウのような祠の中ですね
この近所に住んでいた方に伺ったのですが、子供の頃からこの白馬があって、いつも気になっていたそうです
本堂の写真はもっと載せようかと思ったのですが、なかなか見応えがあります
さすが、坂東三十三箇所の一つです
以前記事にした吉見観音と岩殿観音、そしてここ慈恩寺観音が札所になっていて、県内のもう一箇所は山の上です

keny72さん

僕も渋滞や人混みは大嫌いです
西の方面ですと浦所線とか16号の川越区間などは苦手です
慈恩寺は西から来るとどうしても16号の岩槻インターを通りますね
ちなみに蓮田方面に抜けて戻るほうがスムーズかもしれません
玄奘塔は時間の止まったような場所です
本当に人が少ないです
でもすぐ隣にピザが美味しい古民家のような店があります

No title

こんにちは。

私も随分前にこちらに三蔵法師の遺骨があるのを教えてもらい訪問したことがあります。

私の知っている範囲では、三蔵法師の遺骨は、蕨市と名栗の寺院にもあります。これも驚きましたが。

それから、三蔵法師の遺骨発見のエピソードと日本に渡る経緯を見ると、当時の中国と日本のゆがんだ力関係を感じます。

日本の仏教界がこの経緯をどのように振り返っているのか気になってしょうがありません。(-_-;)

torikeraさん

蕨のお寺にも分骨されているとは初めて知りました。
そして名栗にも。
埼玉に三か所も広がったというのは、どこからどういう風に分骨されたのか興味がありますね。
三蔵法師のお骨は中国では大切にされているとは言えませんでした。
最後は太平天国の乱で、どこかに行ってしまいほったらかし。
日本軍が見つけたのは、侵略ではありますが、現地に神社を建築しようとして造成していたら、偶然棺がみつかるという経緯です。
そして、誠実にも国民党軍に発見を申し出、返還、一部の分骨を許されるということになったわけです。
大乗仏教は事実上日本にしか残っていません。

No title

こんばんは。解説ありがとうございました。

蕨市は三学院、飯能市上名栗の鳥居観音になります。どちらにも立派な舎利殿・塔が建っています。大変大切にされているのが分かります。

どちらも色々な意味で見どころ満載の有名な寺院ですので、ぜひご訪問下さい。m(__)m

No title

浅い知識ですので、完全に正確かどうか分かりません。
三学院と言えば、平成に建てられた新しい三重塔の立つところですね。
ずっと気になっていました。
機会があれば行ってみたいところです。
名栗が鳥居観音とは驚きました。
こちらは何とも不思議な気がします。
ちょっと経緯が気になりますね。

No title

たいやきさん!こんにちは!

私も玄奘三蔵の遺骨がなぜ日本(埼玉ほか大阪・青森など)にあるのか?実に不思議でワクワクして少し調べてみたのですがネット上での検索ではあまり情報が集まりませんでした。

改めて今回検索をかけてみたところ、いくつかこの件に関係する記事がでてきました。坂井田夕起子著『誰も知らない『西遊記』-玄奘三蔵の遺骨をめぐる東アジア戦後史-』という書籍が出版されていて、この本の書評が良い資料になりました。(なお、この本は未読です)

参考までに上げておきますのでよろしければご覧になって下さい。
file:///C:/Users/32342/Downloads/20230624131516_7c5845cea683556d813ebd657e8cca01.pdf (書評・現代中国研究・柴田幹夫・新潟大学)
https://www.toho-shoten.co.jp/export/sites/default/review/399/toho399-01.pdf (ブックレビュー・東方399号・新野和暢・同朋大学)
https://note.com/sakaiday/n/nf80febd8cde2
(新資料発見による加筆訂正・坂井田夕起子・愛知大学)
https://www.hcu.edu.tw/upload/userfiles/37837C6FAB904E548360E98C1217A9BE/files/32-4%E5%9D%82%E4%BA%95%E7%94%B0%E5%A4%95%E8%B5%B7%E5%AD%90080823%E9%80%81%E4%BD%9C%E8%80%85%E7%A2%BA%E8%AA%8D080831%E5%9B%9E%E7%A8%BF%E6%9B%B40920ok%E5%9B%9E0925%E6%9B%B4.pdf  (玄奘遺骨的南京出土及各地奉安經過 97 ・坂井田夕起子・愛知大学)

やはりこういう事をちゃんと学問として掘り下げて、事実を確認する地道な作業をしてる研究者がいてくれることに感動しますね。長くなりましたが参考まで。

torikeraさん

僕も、その経緯は高校時代の恩師、大島先生に教わっただけで、それが正しいかどうかは別として、それよりも詳しい情報には出会えていませんでした。
インターネットの世界は、実際には2000年代以降に書き込まれた情報で、かつサーバーが今でも生きているところにある情報しかありません。
この三蔵法師の情報もそういう理由でネット上に少ないのかもしれません。
となると、ご紹介いただいた書籍は貴重なものとなりそうですね。
まずは図書館で探してみようと思います。
これだけ少ないとなると、もしかすると、ここで私たちが書き込んでいる情報が、三蔵法師のお骨にまつわる、のちの人々のための手掛かりになるかもしれませんね。
最後の中国語の論文は解読が難しいですね。
何となく読める気もするのですが。

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Author:たいやき
カメラ好きには写真家と写真機家の二種類がいるという。
ぼくは間違いなく写真機家なのだろう。
写真は一向に上達しないが、カメラはいつの間にか増えていく。

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